憲法守り、女性も障がい者も輝く社会に!
2017年も今日で、終わりです。おせち作りも済んで、恒例の紅白歌合戦を見ながら、今年最後のブログを更新しています。
年末は、インフルエンザに感染した孫たちのお守りで、孫たちも体調が悪くてたいへんでしたが、私たち夫婦もうつったらたいへんとマスクをしながら大掃除をしたり、おせちの下準備をしたりと、忙しかったです。それでも、今日は二人とも回復し、年末の恒例行事となっている梅林館の年越しソバを食べに行くことができました。
今年も色々なことがありましたが、プライベイトでは、長野の母と懐かしい野尻湖で、素敵なホテルに泊まったこと。また、夏には小学1年生の孫二人とスカイツリーや東京タワーに登ったこと。そして、社会的な出来事としては、やっぱり解散・総選挙です。結果的には、日本共産党は議席を減らしてしまいましたが、市民と野党の新たな共闘を生み出し、今後の展望を開くことができました。私もその中で、11区小選挙区の責任者という大役を勤めることとなり、力不足ではありましたが、裏方を経験するなど多くのことを学ばせてもらいました。
今日の日刊赤旗には、「核兵器禁止条約に署名し世界から尊敬される存在に」ということで、岡山県真庭市の太田市長さんが登場していました。「長崎で平和首長会議に出席し、高校生が核兵器廃絶を求める署名を集めている姿に感銘。…核兵器禁止条約を生かし、核兵器を次の世代に残さないようにすることが私たちの責任。」と語っています。また、真庭市議会は12月議会に於て、「日本政府に核兵器禁止条約に署名・批准するよう求める」意見書を可決しています。
市長も議会も、姫路市とは大違い❕
「怒り」は、いっぱいありますが、健康で家族とともに新年を迎えることができることに感謝です。また、私の拙いブログをチェックしていただいた方々にも感謝です。
ノーベル平和賞の授賞式が行われ、カナダ在住の被爆者、サーロー節子さんが核兵器廃絶への不屈の努力を訴えました。「私たち被爆者は、この世に終わりをもたらす核兵器について世界に警告せねばならないと確信をしてきた。…私は13歳の少女立ったとき、くすぶる瓦礫に埋もれながら、光に向かって動き続けた。そして、生き残った。今、私たちの光は核兵器禁止条約だ。」
本当に感動的なメッセージです。日本被団協からも田中照巳代表委員や藤森俊希事務局次長も参加をされていますが、お二人ともご高齢にもかかわらず、お元気で「いっそう核兵器廃絶の運動を広げ、批准国を増やすためにがんばりたい」とインタービューに答えていることに対して、涙が出てきそうです。被爆しながら、サーロー節子さんは車イスに乗りながらも、みなさんご高齢を押して、真摯に凛としたお姿に感銘を受けています。
それに比べて、唯一の戦争被爆国の日本政府が核兵器禁止条約に背を向けているとは、嘆かわしい限りです。そして、そうした政府に対して原水爆禁止姫路協議会のみなさんから「日本政府に署名を求める」請願書が提出されていましたが、総務委員会では、共産党と新しい風ひめじの二人が採択を求めましたが、創政会、市民クラブ、自民党、公明党、新生ひめじが不採択を求めました。残念な限りです。世界の流れをどう考えているのでしょうか?
反対の理由は、「『日本政府の対応を尊重したい』という市長の考えを尊重したい」ということでした。こんな議会でいいのでしょうか?
今議会は、個人質問に苦瓜議員と森議員が立ったので、私はお休みでした。質問のない議会は、正直言って気楽です。しかし、自分が所属している委員会では、共産党議員として、市民の代表者として絶対言わなければならないことは何か、事前に団で相談したり、当日説明を受けながら、これは質問したり意見を言わないとなど、気を抜くことはできません。
総務委員会では、昨年の課長・局長逮捕から1年が経過するなかで、死亡届で届け出をした人を「死亡人」扱いしたり、銀行からの振り込み依頼書を紛失したり、初歩的にうっかりミスが続いていることに対して、「緊張感を持って、市政への信頼回復を図ってほしい」旨を求めました。
また、問題になったのは、新県立病院と文化コンベンションセンターをデッキで結ぶ平面図がいきなり出てきました。このペーパーは、厚生委員会、イベントゾーン整備特別委員会にも説明資料として提出されていましたが、病院と文化コンベンションセンターをつなぐことが、どういうことなのか、費用は、管理はなど課題が共有されていない(当局側)ことが判明しました。どのような経過で、このような資料が出されたのか、理解不能です。姫路市として、大問題だと思います。
この件については、今後どこで、どう議論していくのかも含め検討することになっています。