プロフィール

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プロフィール

 1953年12月20日生まれ射手座 長野県長野市出身
 長野県立長野短期大学卒業
 1977年10月10日結婚 姫路市白国在住
 増位小PTA副会長、増位校区連合子ども会会長、播磨空港中止を求める会事務局長
 1999年のいっせい地方選挙にて初当選 現在4期目
 鉄道高架対策特別委員会委員長、議会改革特別委員会委員長、厚生委員会副委員長、議会運営員委員会委員等歴任
 
 現在 厚生委員会副委員長、駅周辺整備特別委員会委員、党西播地区委員、姫路障害者連絡協議会事務局次長
 家族 夫と二人  3人の子ども(一男二女)は独立
 趣味 ガーデニング(特に薔薇が好き) 夫との旅行

よく尋ねられる質問ベスト3

Q1 なぜ姫路に来たのですか。

A  私は、生まれも育ちも長野県長野市ですが、結婚した相手が、たまたま姫路の白国(しらくに)の人だったので、結婚と同時にこちらに住むようになりました。

Q2 なぜ、姫路の人と知り合ったのですか。

A  彼が姫路から信州大学工学部に来ていたからです。
私の入学した短大は女子ばかりで、工学部はほとんどが男子学生でしたので、サークルなどを通じてよく交流していました。その中に、関西弁で大きな声でよくしゃべり、男前ではないけれど、よく動き面倒見のよさそうな人がいました。それが、今の私の夫です。

Q3 なぜ、議員になったのですか。

A  当時、日本ではたくさんの地方空港計画があり、その一つに播磨空港計画がありました。しかし、「税金のムダ使い」だとし、びわ湖空港計画や静岡空港計画など各地で反対運動が起こっていました。いよいよ兵庫県でも、播磨空港計画が本格的に進められようとしていました。私が住んでいる白国の広峰山の頂上を削り、谷を埋め立て、3千億円かけて空港を造るという計画です。地元のみならず、全市的に大きな反対運動がおこり、宣伝・署名活動等が行われました。
 その時、播磨空港計画の中止を求める会が結成され、私は事務局長をすることになりました。「自然破壊・税金のムダ使いの空港計画は、子どもたちのためにも絶対許されない」と、いう思いで私も署名集め等にがんばっていました。
 一方、日本共産党姫路市議団においては、議員団4人のうち現職2人が病気で相次いで亡くなるという不幸がありました。そのため、地区委員会は、いっせい地方選挙に向け、新しい候補者を探していました。
 今度のいっせい地方選挙は、「播磨空港計画の是非」が選挙の争点になるとして、計画地の地元に住み、中止を求める会の運動にも携わっていた私に、候補者の要請がありました。
 私は、短大を卒業して社会人になってから入党をしていましたが、姫路にきてからは、地区委員会の仕事や選挙のお手伝いをしたりしていました。当時、安武ひろ子参議院議員や友久ひろみ県会議員のアナウンサーをしたりしていましたが、自分が議員になるとは夢にも思ってもいませんでした。
 しかし、3番目の子も中学生になり、何かきちんと仕事につくなり、自分のために何かしたいと思っていました。候補者要請を受け半年間悩みましたが、女性で普通の人が、そして、何よりも「空港計画反対」の私が、議員に立候補するということは、とても価値あることだと思いました。仕事をやめて出るわけでもなく、失うものは何もありません。ここで、立候補を断ったら後で一生後悔すると思いました。
 よく、「チャンスの神様は、前髪しかない」と、いいますが、その言葉の意味がよくわかるような気がします。あの時、立候補を断っていたならば今の私はないと思っています。また、「議員って大変でしょう」と、いわれますが、その分だけ、やりがいもあると思っています。
 市民運動の広がりや過大な需要予測、羽田空港には飛ばないなどの問題が明らかになる中、ついに2002年に兵庫県は、播磨空港計画を断念しました。
 この時、初めて市民の声と議会の取り組みによって、「政治は変わる!」と、いうことを体験することができました。

私の政治信条

 憲法守り、女性も障がい者も輝く社会を!

 私は自分の経験から女性も男性と同じように、一人の人間として社会に関わり、政治に参画することの重要性やその困難性を認識する中で、男女平等社会の実現が本当に大事だと常々思っています。
 さらに、私を一所懸命応援してくれている方で、障害を持ったお子さんを育てている人がいます。その方を通じて障害を持った方々の願いを実現するための政治が、必要だということを学びました。
 女性も障害のある人も、その人らしく生きることができ、輝ける社会は、みんなが暮らしやすい社会だと思っています。それを実現するのが、政治の力です。そのために、私は議員として頑張ります。