憲法守り、女性も障がい者も輝く社会に!
野党、日本共産党への批判が強まっています。「野党共闘は失敗した」とメディアは盛んに報道していますが、決してそんなんことはありません。共闘で1本化した59の選挙区では勝利しています。当選した与党と1万票差の選挙区が30を越えています。野党共闘をしていなければ、自民党はもっと増えていたでしょう。初めての野党共闘で、それを貫徹出来なかったところに課題があります。志位委員長は、「共闘によって生まれる新しい政治の魅力を、さまざまな攻撃を打ち破って広い国民に伝えきる点で、十分とは言えなかった」と言っています。
また、野党共闘でPCR検査の拡充、一人10万円の給付、持続化給付金、家賃支援金など提案し、実現させて来ました。市民の声を受けた事実に基づく野党による批判は、実際に政治を動かしていますし、新しい政治を生み出す力になります。立命館大学の植松教授は「『野党の批判』は、野党に課せられている憲法上の責任ないしは責務だと思います」と書いています。私もその通りだと思います。批判のための批判ではなく、市民や国民の願い、声を代弁する役割が、野党にはあります。
よく「共産党は何でも反対する」と言われることがありますが、決してそんなんことはありません。この度の議会でも、一般議案等22件の案件がありますが、反対しているのは1件だけです。これからも、市民、国民の暮らしと命を守ることが最優先される政治のため、野党共闘をさらに発展させていくことが大事だと思っています。
総選挙が終わって1ヶ月半余が過ぎようとしています。11月議会も閉会に近づき、ようやくこの度の総選挙がどういうものだったのか、冷静に捉えられるようにになりました。選挙直後は、本当にがっかり感とモヤモヤ感で一杯でした。選挙総括の志位委員長の報告を聴いてもスッキリしませんでしたが、疑問を出し合い、議論する中で野党共闘が政権与党にとって、いかに脅威だったのか、そして、そのため支配勢力がマスコミも使って苛烈な共産党攻撃、反共攻撃をして来たのか、改めて認識しました。
私は総選挙をたたかう中で、少しは前進するのではないかと思っていましたが、そう簡単には歴史は変わりません。志位さんは、「政治対決の弁証法の角度からとらえる」と言いました。また、志位さんは、「攻撃は不屈にたたかう証であり、それはわが党にとって誇るべきことではないでしょうか」と訴えました。私たちの先輩は、あの侵略戦争に対して命懸けでたたかいました。日本共産党の歴史は、不屈のたたかいの歴史でもあります。志位さんが言っていたかも知れませんが、「今の時代、戦争反対。民主主義を守れ!」と言ったところで投獄されることはありません。
今岸田政権の元で、憲法改悪、とりわけ9条を変えて戦争する国にしようとしています。私には8人の孫がいます。孫のためにも、すべての子どもたちのためにも、戦争する国にしてはなりません。そのためにも、来年7月に行われる参議院選挙に向けて、立ち上がるしかありません。参議院選挙に向けて、益々反共攻撃が強まることでしょう。へこんでいたら、相手の思うツボです。不屈の党、ぶれずにがんばる日本共産党の真価の見せどころです。新しい年は、党創立100周年を参議院選挙の躍進でお祝いするため、心新にがんばります❗
菅首相が突然の辞意表明を行いました。民意の反対を押しきって、東京オリンピック・パラリンピックを強行開催、新型コロナへの 無為無策など国民の世論と運動に追い詰められての辞任です。「国民のための政治」を掲げてきましたが、そもそもアベ政治の継承であり、権力の保持のみの一年ではなかったでしょうか。
いよいよ、総選挙です。政治を変える絶好のチャンスです。自民党のトップ、顔を変えても、これまでの自民、公明の国民いじめの政治は変わりません。もう、これ以上自民、公明の政権に私たちの生命と暮らしを任すわけにはいきません。希望が持てる政治にご一緒に変えて行きましょう。日本共産党は、市民と野党の本気の共闘で、新し政権をつくるために、全力でがんばります。太田清幸11区予定候補といっしょに、早速外に出て訴えて回りました。
新型コロナウイルス感染症の第5波の感染拡大が止まりません。兵庫県にも、第4回目の緊急事態が発出されており、姫路市においても感染者が三桁の日が続いたりしています。そのため、議員団として、太田清幸11区国政対策委員長、入江県会議員とともに、姫路市に以下のことを緊急に申し入れを行いました。
1 国に対して、「原則自宅療養」を正式に撤回するよう求めること
2 濃厚接触者は、症状の有無にかかわらずPCR検査を行うこと
3 県と協力して、医療機能を強化した宿泊療養施設を確保すること
4 事業所、学校、保育園等において、大規模検査を行うこと
姫路市として、岡本健康福祉局長、毛利保健所長に対応していただきました。とりわけ深刻なのは、感染拡大によって、濃厚接触者と確認されても、無症状者はPCR検査が受けれないことです。民間の力を借りても、いっぱいいっぱいで検査ができないということでした。また、姫路市では、入院が必要な人は、入院ができているとのことではありましたが、保健所の逼迫、医療の逼迫は明らかです。
引き続き、市民の命と健康、暮らしを守るためにも全力で取り組んで参ります。
8月7日の土曜日、新日本婦人の会が市民会館にて、原爆の写真と原爆の話を聞いて高校生が描いた絵の展示会がありました。その中で、釘付けにされたのが「焼き場に立つ少年」の写真です。この写真は、これまでも何回か目にすることはありましたが、改めて戦争の悲惨さ、酷さを象徴する1枚、戦争そのものを凝縮した写真だと思いました。
このことが胸にさっさていたところ、今日NHKBSで「焼き場立つ少年をさがして」と題して、長崎の原爆投下の特集が放映されました。この写真は、アメリカの軍人カメラマン、ジョージ・オダネルが撮影したものです。彼は、軍の命令で原爆投下後の長崎県内の写真を撮っていましたが、これは、彼が自主的に撮ったものとのことです。また、彼は生前のインタビューに、「原爆投下は、多くの人の命を救ったと言われているが」と問われ、「そういう意見があることは知っているが、罪のない人たちを殺した」と答えています。
この写真は、直立不動のまま、唇を噛みしめ、じっと前を見据えたまま、死んだ弟を背負った少年。オダネルのメモには、「係りの人が死んだ弟を燃え盛る炎の中に置くと、彼は一目散に、後ろを振り向くことなく立ち去った」としています。報道特集の中で、この少年のその後を追いかけようとしましたが、焼き場の場所はわかりましたが、少年を探し出すことはできませんでした。
原爆投下から76年。被爆者たちや核兵器廃絶を願う多くの人々の長年の悲願であった「核兵器禁止条約」が発効されましたが、日本政府は未だに署名、批准しようとしません。今度の総選挙では、核兵器禁止条約を締結する政府をつくっていこうではありませんか。私もがんばります。