憲法守り、女性も障がい者も輝く社会に!
朝、昨日申し入れを行ったブログが書き終わった時、10時から開催されていた議会運営委員会が終わり、何とか最終日に10万円一括給付の議案が提出されることになりました。何と嬉しいニュースでしょうか。その事を確認するため、子ども支援課の課長に電話をしました。「私たちが申し入れした時は、もう決まっていたのですか?」「いえいえ、今朝決まりました❗」とのことでした。昨日4時回っての申し入れで、「何とか残りの5万円は現金給付ができるのであればしたい」とのことだった訳ですから、一夜にして事態は動きました。ちょっと、遅れますが、子どもたちに素晴らしいクリスマスプレゼントを届けることができそうです。
職員のみなさん、大変ですが、市民と子どもたちのためによろしくお願いします❗
野党、日本共産党への批判が強まっています。「野党共闘は失敗した」とメディアは盛んに報道していますが、決してそんなんことはありません。共闘で1本化した59の選挙区では勝利しています。当選した与党と1万票差の選挙区が30を越えています。野党共闘をしていなければ、自民党はもっと増えていたでしょう。初めての野党共闘で、それを貫徹出来なかったところに課題があります。志位委員長は、「共闘によって生まれる新しい政治の魅力を、さまざまな攻撃を打ち破って広い国民に伝えきる点で、十分とは言えなかった」と言っています。
また、野党共闘でPCR検査の拡充、一人10万円の給付、持続化給付金、家賃支援金など提案し、実現させて来ました。市民の声を受けた事実に基づく野党による批判は、実際に政治を動かしていますし、新しい政治を生み出す力になります。立命館大学の植松教授は「『野党の批判』は、野党に課せられている憲法上の責任ないしは責務だと思います」と書いています。私もその通りだと思います。批判のための批判ではなく、市民や国民の願い、声を代弁する役割が、野党にはあります。
よく「共産党は何でも反対する」と言われることがありますが、決してそんなんことはありません。この度の議会でも、一般議案等22件の案件がありますが、反対しているのは1件だけです。これからも、市民、国民の暮らしと命を守ることが最優先される政治のため、野党共闘をさらに発展させていくことが大事だと思っています。
総選挙が終わって1ヶ月半余が過ぎようとしています。11月議会も閉会に近づき、ようやくこの度の総選挙がどういうものだったのか、冷静に捉えられるようにになりました。選挙直後は、本当にがっかり感とモヤモヤ感で一杯でした。選挙総括の志位委員長の報告を聴いてもスッキリしませんでしたが、疑問を出し合い、議論する中で野党共闘が政権与党にとって、いかに脅威だったのか、そして、そのため支配勢力がマスコミも使って苛烈な共産党攻撃、反共攻撃をして来たのか、改めて認識しました。
私は総選挙をたたかう中で、少しは前進するのではないかと思っていましたが、そう簡単には歴史は変わりません。志位さんは、「政治対決の弁証法の角度からとらえる」と言いました。また、志位さんは、「攻撃は不屈にたたかう証であり、それはわが党にとって誇るべきことではないでしょうか」と訴えました。私たちの先輩は、あの侵略戦争に対して命懸けでたたかいました。日本共産党の歴史は、不屈のたたかいの歴史でもあります。志位さんが言っていたかも知れませんが、「今の時代、戦争反対。民主主義を守れ!」と言ったところで投獄されることはありません。
今岸田政権の元で、憲法改悪、とりわけ9条を変えて戦争する国にしようとしています。私には8人の孫がいます。孫のためにも、すべての子どもたちのためにも、戦争する国にしてはなりません。そのためにも、来年7月に行われる参議院選挙に向けて、立ち上がるしかありません。参議院選挙に向けて、益々反共攻撃が強まることでしょう。へこんでいたら、相手の思うツボです。不屈の党、ぶれずにがんばる日本共産党の真価の見せどころです。新しい年は、党創立100周年を参議院選挙の躍進でお祝いするため、心新にがんばります❗
菅首相が突然の辞意表明を行いました。民意の反対を押しきって、東京オリンピック・パラリンピックを強行開催、新型コロナへの 無為無策など国民の世論と運動に追い詰められての辞任です。「国民のための政治」を掲げてきましたが、そもそもアベ政治の継承であり、権力の保持のみの一年ではなかったでしょうか。
いよいよ、総選挙です。政治を変える絶好のチャンスです。自民党のトップ、顔を変えても、これまでの自民、公明の国民いじめの政治は変わりません。もう、これ以上自民、公明の政権に私たちの生命と暮らしを任すわけにはいきません。希望が持てる政治にご一緒に変えて行きましょう。日本共産党は、市民と野党の本気の共闘で、新し政権をつくるために、全力でがんばります。太田清幸11区予定候補といっしょに、早速外に出て訴えて回りました。