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父とのお別れ

1436529419762 7月4日の土曜日からもう何日も過ぎたような気がします。土曜日の夜、お風呂から上がり寝る用意をしていると電話が鳴りました。「こんな遅い時間に、もしや」と思ったら、やはり長野の母から父が息を引き取ったとの、知らせでした。ある程度は覚悟はしていましたが、ついにその時が来ました。

 月曜日から議員団の視察が予定されていましたので、旅行支度は半分できていましたが、急いで喪服等を入れ、長野に行く準備をしました。翌日曜日の朝、車で9時前に姫路を出発し、途中休憩をとりながら実家に着いたのが午後4時前でした。

 父は89歳でしたので、年には不足はありませんが、やはり今度長野に行ってももう父はいないと思ったら、寂しいです。それでも、5月の末に入院したと聞いて、6月議会の質問と委員会終了後、顔を見に帰っていたので良かったと思いました。父は学生の頃は柔道をし、社会人になってからはスキー、テニスとスポーツマンでもありましたが、田舎のおじさんとしては、おしゃれだったと思います。

 また、予科練、つまり海軍飛行予科練習生で琵琶湖の近くで訓練を受けていたようなことを聞いた記憶があります。戦争がもう少し長引いていたら、特攻隊として出撃していたかも知れませんし、戦死していたかも知れません。そうであれば、私もこの世に生を受けていなかったかもしれません。

 もし、後悔することがあるとしたら、もっとその予科練の話を詳しく聴いておけば良かったと思います。お父さん、長い間お疲れさまでした。ありがとうございました。